二十代前半で観た『男と女』、私のベストテンに入る『セックスと嘘とビデオテープ』、初見の『アリゾナ・ドリーム』を選びました。
『男と女』は一度しか観ていない割りにはよく覚えていました。そこに一番びっくりしたりする(笑)。ただ、ここまで音楽を意識的に使っていることと、ジャン-ルイ・トランティニヤンがハンサムだったことには気がついていませんでした。しかし、F1 レーサーが Time や Observer を読んだり、ジャコメッティの話しをするのは、当時から意義あり!(笑)ま、それは兎も角、無名のルルーシュの低予算映画に出ることに決めた二人の主演俳優(彼らは既にそこそこ有名だった)の眼力こそが素晴らしかったのだなと思わずにはいられませんでした。台詞が少ないので、監督の力量にかかっているような作品ですから...。
『セックスと嘘とビデオテープ』は何度観ているのかなあ。軽く数十回は観ているのですが(好きな作品はだいたいこれぐらい繰り返して観ます)、いつも同じように、自分の湖の底に沈んでいる(沈めている)自己に思いを巡らせているような感覚でした。
人は必ず何かしら影響しあうという主旨のアンの台詞は、人との精神的な関わりを意図的に避けてきたグレアムに衝撃とある種の救いを与えます。グレアムは図らずも、アンとジョンのミレニー夫妻にとって狂言回しのような働きをすることになり、夫婦の家の真っ白な壁に彼らの亀裂を浮かび上がらせてしまいました。亀裂は社会的な建前や、築いたものを壊したくないという願望から、偽りという補修材で埋められていたのです。偽りは嘘という形で必ず表面に現れるものですが、往々にして、このように他人によって気づかされたり、暴かれるものなのかも知れません...。アンとジョンだけではなく、彼らと関わるシンディ(アンの妹でジョンと不倫中)はグレアムに、そして狂言回しのはずだったグレアムでさえ、壊れつつある真の自己をアンによって暴かれ、人生を変えて行かざるを得なくなります。ビデオカメラに向かって打ち明けられる本心、願望、秘密は他人と分かち合うためではなく、「病み」として映し出されているのかも知れません。
スクリーンを見つめる眼は、いつの間にか自分の内側にも導かれて行きます(音楽が一役買っているような気がする)。大きな大きな影響を与えてくれた作品。だから、何本か DVD を用意したときには必ず最後に観ています。
『アリゾナ・ドリーム』はそれほど感じるものがなく、書くことがありません...。ヴィンセント・ギャロとジェリー・ルイスはさすがだ~、と感心致しましたが。